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平和のありがたさ〜神奈川県民は勉強します

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第二次世界大戦中の昭和20年、父島を経由し硫黄島へ、食糧や物資を届けるため、横須賀から日本艦隊が出発しました。

しかし、三宅島を通過した辺りで、敵国艦隊が攻め入る為、横須賀へ戻るよう命令がありました。

途中、米国艦隊、空、海軍と戦闘。死者、負傷者を出しました。中には16歳の青年などもおりました。遺体は新島へ流され、戦後、故郷へ帰った話です。

この場所に、いったん、弔われました。


私たち神奈川県民は、横浜、横須賀、逗子。領地の没収や弾薬庫があり、横須賀は今でも、海軍があります


多摩地区もそうです。福生市には。空軍、横田基地があります。小金井市上空を、深夜24時近くに低空飛行している時も


厚木や相模原より、規制が緩い。痛感してます。そして、昭和記念公園は、第二次世界大戦後、アメリカ軍に領地を没収され、昭和47年に、日本に返還された土地です。

小金井市の友好都市、三宅村。生まれ育ったヨコハマと同じ神奈川の横須賀。調布飛行場から行かれる新島の皆様の気持ち。

葬られた丘へ続く階段が残っていました。そして、第二次世界大戦中、新島の皆さんは、山形県疎開なさっていたと、聞きました。

シッカリと記録には残したい。ラジオでは放送不可、許諾も降りないでしょう。しかし、薄れゆく戦争の足跡を、伝える事は、8月を迎えるにあたり、大切なことです。

平成生まれの祖父母の代、戦争を知らない世代、焼け野原を知らない世代がふえているからです


たんぽぽ


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