救急車は来ないだろう。
寒い野外で生き延びるには?
それしかなかった。
横浜へは7時間後、
青森へは4時間後に災害伝言ダイヤル。
酷かった。情報が欲しかった。
モタモタ指揮を待ってても
どうにもならん。
路上生活者で、
いつもコインランドリーで
会っていたお兄さんに話、協力して貰った。
広域避難所の体育館で、
職員さんと一緒に。テレビを設置、
周辺の皆さんに呼びかけ、
携帯の充電所を確保。
更に、女性や子供が安心して休める場所を、
警備員さん相談して設置。
カンパンと水の配給、人員のローテーションを決め、
路上のアニキ達には、
万引きとレイプ、不審者の取り締まりを願った。
「ネイチャン。任せろ!おれたちゃ慣れてる」
原子力の破壊シーン、
義父は被爆かとめまいで倒れた。
オッチャン達が
「海の男さ。沖か、高台さ、
だい丈夫だ!ここさ、あんた、しかっりせにゃ!」
私の命は、皆の命、働こう、
流れる現実が事実だと。
兄貴達が背中を押した。みんかんじんだが
一夜、避難所の平和を守った。
高田馬場にて
自主避難後の広域避難場所の様子
私は、単なるみんかんじんだが
じょうきょうでした
りあるなじょうきょうでした