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【”大袈裟な”と笑われた〜後に正しいと判明、自分の命は自分で守る守る?】

確かに、中学生・小学生で「お母さん!」と探している子供がいるので、彼女らをなんとかしなきゃいかん。けが人がいたが、医療行為はできないものの、応急処置は手馴れていたので、施し、毛布を確保、子供達に、コンビニで無償で、水と食べ物を提供するよう交渉、一角に集め、職員さんに、名簿を書かせ、担当を分散


そして、さとちゃんとはTwitterで4時間後に安否が確認。171青森に繋がったのは地震発生から7時間後、横浜は全く設置されず。母の安否は2日後、舅の安否は3日後に確認



わかめの養殖が全滅、80歳の漁師が「今まで経験したことのない、引き波だった」という言葉に身の毛がよだった。



皆、自分で判断し、自分で行動、自分で安全を確保した。これは、漁師の祖母、そして、横浜大空襲を自己判断で生き延びた祖母→母への教えを忠実に守ったまで。自治体の命令より、自分の足で判断




だから、思った。なぜ、大きな揺れの後、高台に避難しないのか。、父方は関西方面の漁師。台風で床下浸水など、経験。必ず、風の潮の香り、海の埋め、音を聞き、いつもと違うと感じたら、高台へ自分で逃げる。手助けはするな!そう言われて、実践してた


なぜ、高台へ?余談だが、当時の家の広域避難場所は、浄水場神田川の真横。安全が確保できないと、自己判断で、早稲田方面の高台へ避難した


自分の命は自分で守る後も、そうするつもりだ。そして、海外にサーバーを持つSNSのアカウントは持つべきが持論。家族のライフラインになる


長いですが、以上です。あなたは、5年前、どうしましたか?

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