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【音楽で稼ぎたい〜28年かけて見えたこたえ】

14年間、片時も離さず、生きる支えにしてたギター。離婚して、風呂無し・共同トイレのアパートに引越、新宿で一人暮らしを始めた時に、ブチ切った


安い弦で、弾きたくない。辞める。再開する時には、いつもの弦を買える様になってからだ


妥協しなかったのは、喋る仕事をする。コールセンター業界に身を投じ、接客とアナウンススキルを厳しく問われる会社を選んで働いた。会社員として



でも、喘息発作の時、深く息が吸える様にと、手取り13万円の中から、交通費と月謝を支払い、8年間、毎週、稽古。喘息発作で窒息死せず、生き延びたい、生きるために通った



ジャズシンガーになる。ステージに立とう。会社員時代、再婚。再び離婚。覚悟を決めた。初ライブまでの1年。オープンマイク等、ライブ告知と称し、定期的にステージで弾ってた


ギターなんて、弾きたくなかった。でも、演奏を依頼する、お金がなかった。だから、再開。ギターで弾き語りを始めた。そして、32キロのダイエット。ライブハウスに立った



集客できなかった。芝居も格闘技もイベントも集客できたら良い。上手いも下手もない。集客できないアーティストにチャンスはない


誰も、私の歌や演奏を聞いてないすぐにヤラせてくれそうだ。ギター抱えた、エロい奴がいる。


ライブより、MCが受けた。歌い始めると、帰る、舌打ちする、早く下がれの連続。私はSingerだ!悔しかった


同じ悩みを抱え、下心満載のきせんさとしに出会い、たんぽぽ丸に姿を変えた


途端に、笑って、あしらわれた。アーティストがライブフライヤーを素通りして、プロデューサーに、売り込んでた。でも、飯が食えるほど稼げなかった


喋りと社会人経験から、地域密着型のメディアに身を投じた。趣旨に賛同した。たんぽぽ丸が愛され、コールセンター時代の社訓を実践。でも、規模は大きくならず、公私混同な性質のため、理不尽な理由で、すべてが失われ、心身が病んだ


模索の中、音楽で稼ぎたい。ステージ出演、喋りの仕事を辞め、マイクを置いた。自宅でインターネット配信を経て、技術を勘で探りながら、体調の回復と共に、音響へと足を踏み入れた辛かった。


ケーブルを巻けず、呆れられながらも、耳で感じろ!ミキシングは!音の大きさは!


40歳を過ぎ、情けなく、悔しかった。でも、音楽で稼げる喜びと、指導される幸せに感謝でき、石にかじりつくように頑張った



その間、コツコツ、アルバイトを掛け持ち。お金を貯めて、起業した。女性一人だと、ビジネスの話にならず、フラットな立場にも立てない眠れないし、悔しかった。



そして、最近になってようやく、収入の8割が音楽になった。


再び、小さいながらも、行政よりのラジオ番組を制作し、元の業界に戻った。マイクを握り、喋りの仕事が再開した


辛い事の方が多い。でも、誰とコラボレーションするとき、スパっと、NOが言えるようになった


借金しない代わりに、平日はアルバイト。が!ジャズにこだわり、中央線沿線や都心では、店が主催、又は店先で、ジャズの生ライブをしているcafeの店員として働いている。


前から好きだった、珈琲に包まれ、集客と売上にこだわり、レジに立ち接客。



最近「あなたの名前は?」とか「きせんさん、次は、いつ、お店にいるの?」お呼び下さる。ジャズシンガーもラジオパーソナリティーも、タレントも同じ


顔と名前を覚えて頂き、来店頂ける。歌か、喋りか、珈琲かの違い。同じだと思ってる


音響から、パソコンを使った曲作りとミキシングへ。夢は形を変えた。でも、立ち位置を変えて、志を果たせそうだ。


もっと高みを目指し、もっと知識を深め、美味しい飲み物を提供したい。これは、やがて、イベントの企画となり、MCへと、知識が姿を変えるだろう


役者を志してから28年かかり、たどり着いた答え。同じだけの時間、この先、どうなるんだろう。


分からないが絶対に自殺はしない。私は生きる



そう、決意している

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