私の祖母は
米兵が運転していた
トラックにひかれ即死
5歳の時でした
鮮明に記憶しているのは
母が妹を背負い
現場を色々な場所から眺め
「ひろみ、よく覚えておきなさい」
そう言ったこと
お通夜の最中
2名のスーツの着た男性が
玄関先で長い事はなし
じっと聞いていた母が
「あんた!言ってる事が違うでしょ!」
男性に向かって叫び
「ひろみ、この階段から上に
誰も入れちゃ、、いけません!
ここに座ってなさい」
そう言って
先の男性と2階に上がり
怒鳴りあっていた事
両手を広げ「ダメ!!」
必死で止めたこと
母は留学経験があり
英語が堪能
何でも
通訳が違う意味に
訳したそうです
しかし、母も私も妹も
反米感情は持ってません
「悪いのは事故の加害者
個人的に誤りたくても
国が決めた事には逆らえない
仕方ない」
母の教えでした
ご町内の常識は
全世界で通用しない
たくさんの脚立や
カメラスタンドを横目に
我が子を返せと叫ぶ女性に
冷ややかな目線を送りました