20170131112103 20170131112102 20170131112104

私の歌として、まだ、歌えない曲

ありがとう
さようなら
たんぽぽ、会いたいな

そんなメールをよこす
人じゃないんですが
たった3行のメールが
夜中に届きました

何だか胸騒ぎがして
つてを頼り
居場所を探したら
ビルの下で
亡くなっていました

脈をさわると
まだ、温かかった
急ぎ、救急車や警察
家族、関係者に電話して

待ってる間
ビルの屋上に上がりました
律儀に靴が揃えてあり
靴の中も温もりがあり
携帯が
左の靴に入っていました

もしやと思い
送信履歴をみると
亡くなる前に
最後に送ったメールが
私でした

パトカーが来て
警察に行きました
彼の携帯は押収され
その時に、直前に触ったこと
第一発見者であったので
行かなきゃならないみたいでした
パトカーに乗ったんですが
つくまでの間に
私に届いた
そのメールと
アドレス
電話番号を消しました

ギターに興味があり
亡くなる半年前から
私の仕事終わりに
弾きたいと言っていた曲を
練習しました

亡くなる4日前
弾けるようになり
次は何の曲にしようか
相談してましたかね

ミスチル
「Tomrrow never kowns」


当時は、格闘家の妻
仕事柄、血まみれや
腫れ上がり変形した顔を
見慣れていたので
しこりに残らず
悲しくも、涙も出ませんでした

彼氏でも
友でもなく
知人、、仲間、、
さして親しい間柄では
ないと思っていたんです

なぜ、私に最後のメール
だったのか
今も分かりません



お通夜に行き
親御さんに会ったとき
携帯はそのまま思い出に
と話していましたが


いつまでも引きずることに
なっては立ち直れません
全てを消して
携帯を解約し機種を捨てるよう
話しました

その後、
伝言で49日の法用の時に
全て処分しましたと
聞きました

何の病も
何の悩みもない
遺書もなく
原因は分かりません

生きていれば
大学3年生

就活どうしよう
彼女とさ

あるいは

結婚したんだ
子供ができた
昇進したんだ


彼と同じ年代の
青年に出会うと
時折思い出します

亡くなったのは
2月のみぞれの日


それ以来
この曲を歌うことを
やめていましたが
再び歌うことにしました


引きずっていたのは
私かもしれません


何度も
喘息発作になり
意識を失っても
どうすればよいか
路頭に迷っても
何とかやっていられるのも
あっちに行った
その子を含む
いろんな人が
まだ来てはならぬと
言ってるんでしょうね

カバー曲には
必ず、生きてきた過去や
人が浮かび上がります

まだ、この曲を歌うと
泣けてきます
私の歌になっていないんでしょう
さらりと
歌詞を語れた時まで
ゆっくり
お付き合いしようかと
思います


こんな曲が
何曲がありますが
それは
らいぶ?ラジオ?ブログ?
どこかでご縁があった時にでも

このサイトの記事、画像、映像、全の著作権関連は、きせんひろみ事務所に続します。二次的改変、無断転載を固く禁じます。場合により、法的措置を講ずる場合があります。予めご了承願います